【書評No.24】デジタルネイチャー -自然とデジタルがシームレスにつながる世界観-

日本のメディアアーティスト、落合陽一さんが2018年に執筆した本です(今は2023年)。

SNSはもとより、様々なメディアに登場する落合さんのことはもちろん存じ上げていて、大好きなインフルエンサーの一人ですが、落合さんの本を読むのは初めて。

「バカの壁」で有名な養老孟司さんがおすすめしていたのを拝見したのが本書を読んだきっかけです。

この本はこんな人におすすめ
  • 落合陽一さんのファン
  • AIをはじめデジタル技術がますます発展していく未来に強い関心がある方
George(父)

正直なところ、表現が難しくて3割くらいしか理解できていない気もしますが、お付き合いいただければと思います

けー(中1長男)

中学校でネイチャーという単語は習ったばかりです。
デジタルネイチャーってなに!?

この記事を書いているGeroge(父)は、都内在住のサラリーマン。通勤電車のほぼ全てを読書に費やし、年間100冊程度の本を読んでいます(プロフィール)。また、家庭菜園も10年くらい楽しんでいます。

\ それでは、いってみましょう

George(父)

デジタルを語っている本だけあって、Amazonでも紙の本の新品はなかったです。電子版を推奨しているのでしょうか

目次

デジタルネイチャーとは?

養老孟司さんが、「自然とデジタルは対極にあると考えていた自分からすると、とても新鮮だった」という印象を語っているデジタルネイチャーとは、一体どのような概念なのでしょうか。

デジタルネイチャーは近代以前の多様性が、近代以降の効率性や合理性を保ったまま、コンピューターの支援によって実現される世界

デジタルネイチャー 落合陽一
George(父)

何を主張しているのかさっぱりわからないです(笑)

ということで何回か読み直しました。そうしてぼんやりとわかってきた自分なりの解釈は、

近代以前というのはいわゆる産業革命が起こる前、日本で言えば江戸時代あたりのことだと思いますが、この頃の世界は多様性に満ちていました。

日本は300を超える藩に分かれ、まだ「国家」の概念もありません。江戸時代の侘び寂びをはじめとした多様な分化、幕末・明治維新の際に多彩な英雄が出現したことを考えれば、江戸時代がとても多様性に富んだ時代だったということは容易に想像できます。

一方、18世紀後半の産業革命以降の時代は効率化と合理化の嵐。多様性に満ちていた世界が一気に均質化していきました。

ここで、コンピューター(高度な計算機)の出現も世の中の均質化を助長しているだろうと思っていたのですが、どうやら違います。この点が、デジタルネイチャーを理解するにあたって鬼門となる部分ではないかと。

コンピューターも当初は均質化のベクトルを持って登場したのでしょうが、ここでAI・人工知能が登場します。

AI・人工知能の技術は、人々が行う画一的で均質な事務仕事等を代替することが可能であり、人間は雑務から解放され、よりクリエイティブな業務に注力することができます。

これが、コンピューターの支援によって実現される近代以前の「多様性」ということなのだではないかと。

George(父)

ちょっと自信ないけど、こんな感じで解釈

けー(中1長男)

本の解釈は読者の数だけあっていい

さらに理解を深めるためにもう1つ引用しておくと…

デジタルネイチャーとは、生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで、現存する自然を更新し、実装することだ。

デジタルネイチャー 落合陽一

生物が生み出した量子化という叡智」とは、DNAとかRNAとか人間を人間たらしめる遺伝子の情報配列のことを指していて、現代のAI・コンピューター技術であれば遺伝子情報を記述することも可能であり、ありのままの自然とデジタルはシームレスなつながっている。

例えば、なんらかの理由で腕や足を失ったとしても、AI・コンピューター技術を活用した義手や義足を利用して、人間本来が備えている自然(肉体的機能)を再構築することができる。こんな感じです。

ちなみに、I T用語辞典にもデジタルネイチャーは載っていて、そこでは以下の通り紹介されています。

落合は、成熟したコンピューター技術により、あらゆるものがソースコードとして記述され、人や自然などの「物質」と仮想的に再現された「実質」(virtual)が不断の連続的な関係に置かれる、それによって、旧来の工業化社会とは違った世界の在り方、価値観、環境が実現するという。

IT用語辞典より抜粋 
URL:https://www.sophia-it.com/content/デジタルネイチャー
George(父)

日本語難しい(泣)
とりあえず、自分なりには解釈できたので先に進みます

「AI+BI型」と「AI+VC型」に分化する社会

落合さんは、デジタルネイチャーが拡大した後の予想として、社会は「AI型+BI型」と「AI+VC型」の2つに分化していくという考えを披露されています。

(1)AI+BI(ベーシックインカム)型な社会

デジタルネイチャーの世界では、AIをはじめとするテクノロジーが発展し、人間の仕事を補完するようになると生産力が飛躍的に向上する。

その結果、多くの人間はAIや機械の指示のもと、ごく限られた仕事と業務をこなすのみとなり、富の再配分としてのBI(ベーシックインカム)で収入を得ながら生活することが可能となる。これが「AI+BI型」な社会。

(2)AI+VC(ベンチャーキャピタル)型

AIによる機能補完を受けながらベーシックインカム的な生活を送る人々が出現する一方、既存のフレームワークの外側を目指し、AIを活用したイノベーションを指向するベンチャーキャピタル思考な人々が一定数あらわれる、と予想していて、これがAI+VC(ベンチャーキャピタル)型の社会です。

AI+VC型は新しい「文化」を創出する人々であるともいわれています。

George(父)

このAI+BI型とAI+VC型は併存することが難しいため、都市と地方など、特定の地域でそれぞれがコミュニティを作るようになるともいっていて、これが落合さんのいう多様性の再構築という部分に繋がるのだと思います。

他にも「おっ!?」と思う落合さんの考えや思想がたくさん披露されているのですが、正確に理解できている自信がないので、あとおは本書を読まれる読者の方々に委ねます(笑)

まとめ・感想

昨今のChatGPT出現のインパクトをみていると、これからAIを中心としたテクノロジーがどんどん世の中を変えていくだろうし、落合さんが提唱するデジタルネイチャーな世界もどんどん拡大していくのだろうと強く感じました。

最初に本書を読んだ際には、社会がベーシックインカム型とベンチャーキャピタル型に分化していくことについて懐疑的でしたが、

ChatGPTなどの大規模言語モデルは、もとを辿れば一般市民がインターネットやSNS上に残したビッグデータで学習して作り上げたモデル。

これを冷静に捉えると、一部のプライベートモデルを除き、LLMのような機械学習モデルは世界の共有財産としてオープンソース化されるべきだし、仮にAIにより仕事や生活を失う人々が出てくるのであれば、ベーシックインカムで生活を補完するというのもあっておかしくない世界観だと感じました。

私としては、ベーシックインカム型とベンチャーキャピタル型への分化は、直接的な所得格差の拡大を意味するものではないと思っています。

二極化する世界で、片方だけ良ければ上手くいくということはないと思うので、今後ますます広がっていくであろうデジタルネイチャーな世界には大いに期待することにしたいと思います。

George(父)

本書は本文の3割程度を言葉の注釈で占められている点が独特です。
注釈まで全部理解したら、ものすごく博識になれると思います(笑)

正直1回読んだ時点ではほとんど理解できなかったのですが、気になる箇所を何度か読み返すにつれ、なんとなく理解できるようになってきました(養老先生も何度も読み返したらしいです)。

まー、出版と同時に読んでいたら、1ミリも理解できなかったと思うので、今のタイミングで読んで正解でしたね

けー(中1長男)

紙の本があまり印刷・発行されていない点も購入意欲をそそられます。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました〜

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この記事を書いた人

40代都内サラリーマン🧑‍💼 妻1人、子供3人の父
新しいもの好きで飽きっぽい性格。人生とことん楽しむために、仕事も頑張る
座右の銘は「知らぬが仏、忘れるが勝ち」
↓このあたりをテーマに不定期に配信します
読書、家庭菜園、家族、Python、機械学習、筋トレ

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