司馬遼太郎の「この国のかたち第5巻」の読後感想です。
出張する際の機内でのみ読むようになって、とうとう5巻まで。
「この国のかたち」は1986 年から1996年までの10年間にわたって、文藝春秋にて連載された作品です。
1つ1つのテーマは4,000文字(原稿10枚)に収められており、読み切りエッセイ的なものが多いのですが、5巻では、めずらしく数回にわたって同じテーマが続きます。
例えば、「神道(1〜7)、「鉄(1〜5)」、「宋学(1〜4)」という感じです。
今回は、これまでの巻でも度々テーマとなっている「宋学」、明治維新の会津藩に関するテーマ「会津」、巻末に掲載されている「人間の魅力(口述編集)について感想を述べたいと思います。
- 日本を代表する歴史作家、司馬遼太郎に興味のある方
- 日本とは何か。本物の日本(人)論に触れたい方
- 日本の歴史が大好きな方
この記事を書いているGeroge(父)は、都内在住のごく一般的なサラリーマン(管理職)。通勤電車のほぼ全てを読書に費やし、ビジネス書を中心に年間100冊程度の本を読んでいます。(プロフィール)。
\ それでは、いってみましょう
宋学(朱子学)
宋学はこれまでの巻でも度々テーマとして取り上げられてきているところを見ると、司馬遼太郎の想いが強いテーマなのだと思います。
そもそも、宋学は中国宋の時代に朱子によって大成された学問であり、一般的には朱子学といいます。
宋学(朱子学)を理解する上で需要な思想の1つとして 「大義名分論」 という考え方があります。
大義名分論の中心は「孝」と「忠」。もともとは孔子が、家族の親和や君臣の信頼の重要性を説いたものですが、朱子学においては、為政者が世の秩序を維持するために必要な理念として変貌したものとされています。
このため、江戸幕府における統治理念とされました。特に水戸藩の朱子学が有名です。
司馬遼太郎さんの説明を咀嚼すると、「宋学(朱子学)は正邪の区別を明確にする傾向が顕著で、極めて形而上的な性格を纏ったもの」ということであり、幕末の尊皇攘夷論の背景となっていきます。
この時代の宋という国は、中華思想のもとに栄えた漢民族が、東北地方に興った女真人に金という征服王朝により支配された時代。
文明国(宋)が野蛮(女真人)に隷属した時代だったことが、朱子学が形而上的な色彩を帯びた時代背景であると司馬遼太郎は述べています。
あくまで本書を読んだ範囲ですが、朱子学は内向きで、二項対立を生み出しやすい思想なのかなぁという印象を受けました
宋学(朱子学)の正邪を明確にしたがる傾向は、南北朝時代の南朝正統理論に通じるとともに、昭和を悲惨な戦争へ誘った陸軍による「統帥権・帷幄上奏権」の思想に結びついたのではないか、というのが司馬遼太郎の仮説となっています。
難しいですが、とても興味深く勉強になるテーマでした
会津
昔、福島県の会津若松に度々訪れたことがあるのと、幕末の会津藩が辿った数奇な運命やその凄惨な歴史に同情する気があったため、「会津」というタイトルを見た時から興味を持っていました。
会津藩は、徳川家康の孫にあたる保科正之を藩祖とする親藩で、外様藩のように幕閣の顔色をうかがう必要性に乏しかった。
このため、政略にかかる能力はなく、むしろそういったことを卑しみ、律儀と忠誠を重んじる藩風を備えていました。
そんな会津藩が幕末の京という政争の渦中に巻き込まれてしまったのは、「歴史に魅入られた」、としか言いようがない、と司馬遼太郎は述べています。
京都の治安悪化を背景に京都守護職を命ぜられた会津藩主・松平容保も、当初は「わが城邑は東北に僻在し」と固辞していたようですが、最終的には周囲からの圧力に屈し京都に赴くことになります。
かの有名な浪人結社である新撰組は会津藩に預けられ治安行動の先駆けとなったため、会津藩は討幕派の恨みを一身に受けることに……
その後、鳥羽伏見の戦いで新式銃を備える薩長の連合軍に敗れた会津藩を主力とする幕府軍。
鳥羽伏見は局地線であり、まだまだ十分な戦闘余力を持っていたにも関わらず、将軍・徳川慶喜は大阪湾から船で江戸へ逃亡します。
望まぬ京都の守護につきながら、最後は慶喜に実質捨てられる形となった会津藩兵と松平容保の心情がどのようのものだったのか。想像するに耐え難い気持ちになります
このような経緯をたどり、最後は武士の意地を貫くしか選択肢がなくなり、白虎隊等の辛い歴史を有する戊辰戦争へと突入した会津人。
そんな会津地方が、今では東北における最先端テクノロジー集積の要・スマートシティ会津若松となりつつあることについて、心から頑張ってほしいと思っています。
がんばれ会津!
人間の魅力
第5巻の最後に収録されている本テーマは、司馬遼太郎の口述をベースに加筆されたものであり、幕末維新時代の人物の魅力について柔らかいトーンで紹介されています。
なぜ、幕末維新時代の人物に焦点をあてたのかというと、明治で武士の世は終わったが、日露戦争までは武士のリアリズム(職人的な合理主義)が残っていた(司馬遼太郎が大好きな時代)と思われるから、と司馬遼太郎は言います。
このテーマに登場する人物は、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作、村田蔵六、高田屋嘉兵衛の5人。
どの人物も司馬遼太郎の著書で余す所なくその魅力が語られています。昔読んだ司馬遼太郎さんの書籍を思い出しながら、感慨に耽ることができました。
まとめ
今回は、これまでになく長編シリーズが多かった印象。
短編だと司馬遼太郎さんの博識振りが発揮できずに勿体なく感じていたのでとても良かったです。
さあ、次はとうとう最終巻(6巻)です。司馬遼太郎の日本(人)論がどのように幕を閉じるのか、読む前からドキドキしています(笑)
司馬遼太郎ほど、日本と日本人を愛し、カッコよく語れることができる人はいない、とあらためて感じた巻でした
最後まで読んでくれて、ありがとうございました〜。
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