いつもは退屈な出張の移動時間ですが、司馬遼太郎のこの国のかたちを読んでいるとあっという間に過ぎていきます。今回第3巻の読後感想です。
「この国のかたち」は、1986 年から1996年までの10年間にわたって、文藝春秋にて連載された作品です。司馬遼太郎が描く日本(人)論で、全6巻から成り立っています。
3巻目に突入し、本書シリーズをもっと楽しむ方法を編み出しので紹介します
まず、最初に目次を読んで「このタイトルは絶対に面白いに違いない」というテーマを書き留めます。
そして、実際に読んだ後に、自身の期待度と比べてどの程度であったかを確認する。
なんだそんなことかというレベルの話ですが、1度試してみてください。「こんなの興味ないよ〜」と思っていたテーマが予想に反して面白かった時、結構な感動が得られますよ。
今回タイトルだけ見て気になったタイトルは以下の5つでした。
❶ドイツ傾斜、❷秀吉、❸脱亜論、❹鎌倉、❺大阪
果たして、私が実際に読んで取り上げる題材は……
いつものとおり、面白かったものをいくつかピックアップして紹介しますね。
ぜひ、前回記事(「この国のかたち(1)」、「この国のかたち(2)」)についてもご一読いただけれると嬉しいです。
この記事を書いているGeroge(父)は、都内在住のサラリーマン。通勤電車のほぼ全てを読書に費やし、年間100冊程度の本を読んでいます(プロフィール)。
- 日本を代表する歴史作家、司馬遼太郎に興味のある方
- 日本とは何か。本物の日本(人)論に触れたい方
- 日本の歴史が大好きな方
\ それでは、いってみましょう
ドイツへの傾斜
明治維新以降のお話。
鎖国を貫き通した江戸時代。長崎の出島を通じて繋がっていた外国は中国とオランダの2カ国のみでした。
なぜ、中国とオランダとは交流が認められていたのかといえば、「キリスト教を布教する懸念がなかったため」といわれています。
幕府は、キリスト教が広まることによって、士農工商の身分制度が破壊されたり、植民地化に繋がることを恐れていたとされています。
このような背景もあり、江戸時代の医学の主流は蘭学(医学)であったのですが、明治維新後は蘭学を捨て、当時はほとんど交流のなかったドイツ式(当時プロイセン)の医学が採用されました。
実は、蘭学の源流はドイツ医学であることがわかったというのがその理由です。
陸軍もドイツ式を採用しています。なぜ幕府が懇意にしていたフランス式ではなかったのか。この理由は、明治維新の4年後にプロイセンがフランスに勝ったため。
また、憲法も然り。英国式ではなくドイツ式。市民精神が未成熟なドイツの田舎くささに共感(安堵)したからだと司馬亮太郎さんは述べています。
このドイツ式で日露戦争にも勝利したため、ドイツへの傾斜が勢いを増し、第2次世界大戦における日独伊三国同盟に繋がっていくのです。結果だけ見れば、ドイツへの偏った傾斜はある種の国家病であったということです。
日本の歴史には、こういった興味深い選択の数々とストーリーが詰まっていて、本当に面白いと思います
七福神
突然ですが、招福を司る七福神って日本の神様だと思っていませんか?
恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福寿録、寿老人。
船の上に7つの神様が所狭しとコミカルな感じで描かれていて、私は日本古来の神様なのだと信じて疑わなかったのですが、実はインドの神様や中国の仙人が元になっているとのこと。
この辺りの経緯が詳しく書かれていてとても興味深く読めました。
なぜ、招福を司るかみが異国の地の神様なのか。古来より、富は異国のからもたらされてきたからなのでしょうか。稲作も中国南部やインドから伝播したといわれてますしね。う〜ん
船
江戸時代は大型船の建造を禁じるという法が存在しました。
豊臣家に想いを寄せる西国大名が大船を駆けて江戸湾に侵攻することを恐れたためと言われています。
現に、アメリカのペリーがたった1隻の軍艦で江戸湾に侵入しただけでお手上げ状態だったことを踏まえると、幕府の大船禁止令は間違いなかったのかもしれません。
司馬遼太郎さんも「日本が海からの来襲者にいかに過敏で脆い精神状態を持った国であるかがよくわかる」と述べています。
海外に対した植民地を持たない日本が、日本海海戦でバルチック艦隊を撃破した後も身の丈に合わない海軍を保持した理由の一端が垣間見える、という主張もとても興味深かったです。
秀吉
秀吉の功績を知らない人はいないと思いますが、あえて列挙してみると……
- 天下統一を果たした
- 太閤検地や刀狩によって兵農分離を推し進め、幕藩体制の基礎を築いた
- 城下の大阪に全国的な市(米や材木)を設け、天下を1つの市にするなど市場経済の礎を築いた
- 農村では、自作農設定主義をとり、中間的な国人・地侍を追放した
秀吉は小学生でも知っているすごい人
このように数々の革新を成し遂げてきた秀吉ですが、なぜ、「大明征伐」を掲げ、朝鮮出兵を敢行したのか、およそ同じ人物が成した所業とは思えないと司馬遼太郎さんは述べています。
出兵の理由も定かではない。対明貿易を目指したとの解説もありますが、必要な手続きをとっているようには見えないし、統治後の天下の引き締めを図るといってもその必要性を秀吉自信が持っていたとは思えないとも。
独裁者になって無重力的気分になってしまった点はあるにせよ、軽度のパラノイア(特定の妄想癖を伴う統合失調症に近い病気)だったのではないかと、見解を述べています。
あの先進的で底抜けに明るく、さまざまな偉業を成し遂げた秀吉と単なる思いつきのように朝鮮出兵を敢行した人物が同じ人物だとは思えない、という想いなのだと思います。
実際に秀吉がパラノイアだったかは知る由もないですが、秀吉晩年の所業の原因を病に求めるところに、司馬遼太郎さんの秀吉への悲哀を感じました
文明の配電盤
明治初期、近代土木界の最高権威と称される古市公威(ふるいちこうい)さんが、その勤勉性から体を労わる声をかけられた時に言ったとされる次のセリフが心に刺さりました。
「私が1日休めば、日本は1日遅れるのです」
外国からの植民地支配を避けるため、当時の日本人がどのくらい真剣に国のために身を粉にしてきたか、その時代感覚が垣間見えて、個人的にとても感銘を受けました
まとめ
ちょうど折り返しの3巻まで読んできましたが、まだまだ発散している感じが強いです。最終6巻に向けてどのような帰結を迎えるのか、今からとても楽しみです。
また、出張時間を活用してマイペースに読み進めます。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました〜。
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